善通寺市には400程と言われるほど多くの古墳があります。
その中で西部にある菊塚古墳を訪れました。
前方後円墳でしたが、今は神社のある後円部のみです。

周壕跡は田畑になっていますが、以下のgoogle写真をじっくり見ると
周壕のある前方後円墳だったことが分かります。

この道路のカーブも周壕があった名残です。

この田んぼも周壕だったことがイメージできる形をしていますね。

400mほど東に見えるのが王墓山古墳。菊塚古墳と同じ横穴式かつ石屋形式の石室で、菊塚古墳の被葬者の流れを汲むと推定されています。香川県では珍しく九州に多く見られます。

この場所から右手に空海が建立した善通寺が見えます。空海の実家
佐伯氏との繋がりを思いながら、歴史の浪漫に浸ることができました。

菊塚古墳の横にそびえるのが我拝師山。山頂付近の捨身ヶ岳と呼ばれる場所は、空海が7歳の時に7日間修行をしたが仏に出会えず身を岩下に投げた時、お釈迦様が現れて彼を救ったという伝承が残っています。

その中で西部にある菊塚古墳を訪れました。
前方後円墳でしたが、今は神社のある後円部のみです。

周壕跡は田畑になっていますが、以下のgoogle写真をじっくり見ると
周壕のある前方後円墳だったことが分かります。

この道路のカーブも周壕があった名残です。

この田んぼも周壕だったことがイメージできる形をしていますね。

400mほど東に見えるのが王墓山古墳。菊塚古墳と同じ横穴式かつ石屋形式の石室で、菊塚古墳の被葬者の流れを汲むと推定されています。香川県では珍しく九州に多く見られます。

この場所から右手に空海が建立した善通寺が見えます。空海の実家
佐伯氏との繋がりを思いながら、歴史の浪漫に浸ることができました。

菊塚古墳の横にそびえるのが我拝師山。山頂付近の捨身ヶ岳と呼ばれる場所は、空海が7歳の時に7日間修行をしたが仏に出会えず身を岩下に投げた時、お釈迦様が現れて彼を救ったという伝承が残っています。
